竹内氏、オレゴン州マルヒュア郡ミッチェル・ビュート(1945年3月29日に風船爆弾が着陸した場所)にて

「竹内公太さんは今どこにいるの?」これは、竹内氏の2017 年ACCフェローシップ期間中、よく耳にした問いでした。ビジュアルアーティストの竹内公太氏は、ニューヨークに3か月滞在した後、その後の3ヶ月西海岸を縦断し、第二次世界大戦の跡地や原子力産業の現場を調査しました。竹内氏は、絵画や彫刻から映画やインスタレーションに至るまで多様な媒体で制作し、歴史的建造物や近現代の産業遺産にまつわる社会的記憶を追究しています。また、福島県を拠点とする竹内氏は、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う帰宅困難区域で行われている国際美術展「Don’t Follow the Wind(風を追うな)」プロジェクトのメンバーでもあります。

米国では、竹内氏は風の流れに身を任せるように調査を実施、日本の風船爆弾(もしくはふ号兵器)着陸地点の経路を辿りました。水素を充填した気球により空中に放たれたこれらの爆弾は、太平洋の偏西風を利用し米西部に届くように設計されました。1944年から1945年の間に放球された9,000器ほどの風船爆弾のうち、僅か一部だけが標的に達し、おおよそ300器ほどは目撃されたか、音が聞こえたか、発見されたとの記録があります。


左:太平洋に浮かぶ風船爆弾(1945年3月2日)右:ヤカマ・インディアン居留地本部オフィスにて風船爆弾着陸地点を推測する竹内氏

竹内公太氏の米国のGoogleマップは、シアトルとワシントンDCにある国立公文書館で調査収集した風船爆弾の着陸地点や、「Fu-go: The Curious History of Japan’s Balloon Bomb Attack on America 日本の対米風船爆弾攻撃」の著者であるロス・コーエン氏のような歴史家と会った場所など、何百ものピンが立てられています。

竹内氏は、これらの場所の多くで風船爆弾の投下の推定経路をドローン撮影しました。風船爆弾が投下された物理的な証拠が時と共に失われる中、竹内氏のプロジェクトはますます消えゆくその歴史を可視化します。


左:ワイオミング州サーモポリス付近の風船爆弾着陸地図 右:現場

こうして竹内氏は、カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州、アイダホ州、ユタ州、ミシガン州、モンタナ州、ワイオミング州を横断し、私達が大体夢見るだけに終わるロード・トリップを実現させたのです。

そこに夢見ている人がいれば、必要な準備と柔軟な対応を心がけましょう。あなたの思う旅が竹内氏のようなものであれば、目的地にはたどり着かないかもしれません。ブレア・バレーとリトル・ブレア・バレーの間のどこかあいまいな場所にある風船爆弾着地点を通り過ぎてしまうかもしれません。その原子力施設では現地調査を行うことができないかもしれません。ミッチェル記念碑に辿り着く前には、雪でレンタカーが動かなくなるかもしれず、それでも、クラマス・フォールズの親切な人があなたを一晩泊めてくれるかもしれません。はたまた、アイダホ州アトミックシティの旧郵便局がバーになってしまっていることも。

まさに、風があなたをどこに連れて行くのか決してわからないのです。

写真下:竹内氏、ワシントン州リッチランド周辺ハンフォードB原子炉を前に。