劇作家・演出家の山本卓卓(やまもと・すぐる)氏は2018年のACCフェローシップを受け、人種や世代間を越える物語のあり方についての調査で2019年9月から2020年2月までの6ヶ月間、米国ニューヨークに滞在しました。滞在を振り返り、感想やそこで思ったこと、考えたことなどをACCに以下のようにレポートして下さいました。

 


 


結論から書くと、最高の6ヶ月だった。Catherine Filloux*との交流がこの滞在をそうさせた。彼女が引き合わせてくれた人々とのコミュニケーション、おすすめの舞台、NYの状況、アメリカの状況を知れたことが私の研究に大いに役立った。当初私は人種や世代間を越える物語のあり方を探るつもりでこのフェローシップを始めた。(左写真:Catherine Filloux氏と。)

主にアフリカ系アメリカン、アジア系アメリカンにインタビューし、彼らと交流し自分なりに考えた結論は、私の研究の答えは”笑い”あるいは”ユーモア”にあるのではないか。つまり、笑いやユーモアこそがあらゆる分断を越えてゆくのだという確信であった。アメリカの観客は大いに笑う。それに比べて日本の観客はさほど笑わない。が、だからといって日本人が笑いを求めていないということではない。落語や狂言や漫才、吉本新喜劇、そしてビートたけしに至るまで、日本独自の笑いは愛され進化しつづけてきた。

その笑いの歴史が演劇と密接にリンクしていたのは80年代のバブル経済に沸く好景気だった。その頃の演劇は笑いを積極的に取り入れ、野田秀樹や鴻上尚史や松尾スズキ、別役実、といった多くの優れた喜劇の作り手を産んだ。しかしやがて90年代にバブル経済が崩壊し景気が後退してゆくにつれ、静かな演劇を代表する平田オリザらの登場によって、これまでの笑いを積極的に取り入れる姿勢とはかわってシリアスな雰囲気になっていく。そして20年間におよぶ不景気の時代の中、非正規雇用やアルバイトで生計を立てる若者が増えるなかで、ある種、若者の袋小路を自嘲するチェルフィッチュの岡田利規やポツドールの三浦大輔らが台頭していった。80年代の好景気に浮かれた日本演劇の笑いは、一度火を消し、今度は自嘲として、現代に引き継がれて今に至る。自嘲の時代以降、日本演劇における笑いは更新されていないのである。

私は自分自身の精神的な問題で、長らく心に笑いのない生活をしていた。それこそNYに来る直前まで私は自身の精神的な問題と戦いつづけていた。NYにきて、日本を遠くに眺めているうち、自分自身をも客観的に見つめていることに気がついた。日本で苦しんでいた自分が過去のものとなり、なんだか気が楽になった。そう、つまり、私は私を笑えるようになったのだ。そしてこれは自嘲の笑いではなかった。自分自身を嘲るのではなく、自分自身を許す笑いであった。このことに気がついた瞬間から、私は新作脚本の執筆をはじめた。許す笑いの演劇をつくる。NYに来て、たくさんの経験をしなければ発見できなかったことである。だから最高だったのだ。

 


NYにて、ACCグランティの皆様と。

他にも最高だったこと。
・他のACCメンバーと仲良くなれたこと。彼らと接していくうち、自分たちがファミリーのように思え、愛おしくなっていった。
・幸運にも、接する人々がみな私に優しくしてくれたこと。
・料理はクリエイティブな作業であると気がついたこと。(日本にいた時あまり自炊をしなかった)
・結局胃袋は日本人だなと気がついたこと。
・しかし精神的にはNYという街が自分にとてもフィットすると気づけたこと。

である。もちろん、NYには厳しい現実もあるだろう。街中のホームレスの数は、やはり異常だと思った。日本とは違う差別の形も存在するだろう。やる気のない店員。互いへの無関心。さまざまな問題はあるだろう。しかしこうした負の側面も含め、はるかに人間的であると感じた。みな正直に生きているのだ。

こう書かねばならないほど、日本は何かが見えないようになっている。ホームレスは見えないところに身を潜め、店員の感情はわからずマニュアルの笑顔、記号の挨拶だけがそこにある。私はもっと正直に生きたい。しかし正直な人間が精神の問題を抱えなければならない場所が日本、いや東京であるのだということも厳しい目で見つめていかねばならない。

ただ、そんな東京を、日本を許したいと思う気持ちもあるのだ。私は笑いたいのだ。笑えるって最高だ。

最後に、この経験を私に与え、サポートしてくれたすべてのみなさんに感謝します。私は未来、日本の演劇を牽引してゆきます。そんな野心的な言葉で締めくくります。

山本卓卓

(文中において、一部敬称略とさせていただきました)

*Catherine Filloux キャサリン・フィルー(ACC2000年グランティ)ニューヨーク在住の人権問題などを扱う作品で知られる劇作家。ACCでは、ACCのプログラムスタッフによる渡航滞在中の活動サポートに加えて、必要に応じて、現地のACCアルムナイやACCと関係の深い専門家の方達による、より専門的なガイダンスやメンターシップを提供するサービスを行っており、山本卓卓氏の調査においては、Filloux氏にご協力いただきました。


 

山本卓卓(やまもと・すぐる)範宙遊泳/ドキュントメント主宰。劇作家・演出家・俳優。
1987年山梨県生まれ。幼少期から吸収した映画・文学・音楽・美術などを芸術的素養に、加速度的に倫理観が変貌する、現代情報社会をビビッドに反映した劇世界を構築する。近年は、マレーシア、タイ、インド、中国、アメリカ、シンガポールで公演や国際共同制作なども行ない、活動の場を海外にも広げている。『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。2016年度より急な坂スタジオサポートアーティスト。俳優業は自身の作品のほか、シアタートラム、俳優座劇場などに出演。2018年ACC NYフェローシップにて、2019年9月から2020年2月までの6ヶ月間ニューヨークにて調査滞在を実施。 

近作にオンラインでの演劇プロジェクト「むこう側の演劇」『バナナの花』#1『バナナの花』#2(2020)があり、#3は8月上旬に公開予定。また、範宙遊泳の演劇作品の記録映像が無料公開中で、ドネーションや投げ銭も受け付けています。

 


 

「グランティからの寄稿」は、アーティスト、専門家、また文化のアンバサダーとしての国際的なコミュニティにおけるACCのアルムナイの声をシェアするためのプラットフォームです。これは、世界中の言葉、映像、映像、音を通した文化交流です。私たちの身体が旅をすることはできなくても、私たちの心は出会うことができます。